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No.64 Francis Dunnery / Fearless 1994(UK)

It Bites
いざ何かを書こうとすると、我ながら昔のことばかりで本当に絶句する。

物心が付いた中学から高校、大学時代までの10年あまりに音楽や思想、芸術などに深く関わる濃厚な一人称の思い出が集中していて、それ以降、つまり社会人になってからの約20年は振り返ってみれば、ほぼ一瞬にさえ感じられる。この間は目の前の表層的な現実世界をまるで駆け足で通り抜けてきただけのような気さえする。もちろん、冷静に自分の経歴を数えてみれば、それなりの変化や経験を重ねてきてはいるのだが、あくまでも現実世界で生き残っていくことに無我夢中だったのだろう。日頃は当たり前と思っている現在の自分の生活環境や社会的なポジションにしても、何らかの悪縁で社会不適合者の人生を送っている可能性もゼロではなかった。社会に順応するという命題に面した過去の自分に、決して余裕があったわけではないのだ。

社会人になったばかりの20年ほど前。
いちばんハマっていたのは、イット・バイツ解散後のフランシス・ダナリーだった。ビートルズ以来、最高クラスの純度のメロディーメイカー、というのが当時の自分が彼に付けた肩書きであった。実際、彼の歌とメロディーは、ジョン・レノンとも、レイ・デイヴィスとも、もちろんピーター・ゲイブリエルともまったく違う、オリジナルな持ち味を備えていた。
イット・バイツ解散直後のファースト・ソロ『ウェルカム・トゥー・ザ・ワイルド・カントリー』は、イット・バイツのフォーマットをそのまま踏襲した作風だった。イット・バイツとの近似性が高い分、アレンジ面の詰めの甘さがそのまま不満に感じられた。その昔、ピーター・ゲイブリエルもまた初期のソロ活動では、ジェネシス時代に自分が築いたキャラクターの呪縛を逃れるのに苦心していたが、フランシス・ダナリーもまた同様で、彼は決してファースト・ソロのような音楽をやるために、イット・バイツを脱退したわけではなかったはずである。

そんな中、彼の飛躍を期待していたところ、ロバート・プラントのツアーに雇われギターリストとして同行しているというニュースを聞いた。これは意外だったが、ギターリストとして高く評価されての抜擢であったのでファンとして悪い気はしなかった。
さらに、ほどなくして告知されたフランシスのセカンド・ソロは、何と大手レーベルのアトランティックからのリリースだった。プラントとの協業がもたらしたビッグチャンスだった。

待ちに待った末に入手した『フィアレス』は、当時の自分にとって期待した通り、彼の傑出したメロディーセンスが開花したアルバムだった。演奏面は、ドラムを含めたほとんどのパートが彼自身による多重録音だが、イット・バイツとはまったく異なるフォーマットでの音楽なので、特に気にならない。
バラードあり、フォークあり、ソウルあり、アップテンポのポップスあり、ハード・ロックありと、何でもありな作風は、例えばエリック・クラプトン辺りの大御所を思わせるバリエーションだが、彼のようなクラスが同じことをやると、「節操がない」とか「統一感がない」とかの批評を受けるらしい。
実際、当時の音楽雑誌のレビューでは、そのようなコメントが見受けられた。

イット・バイツ時代から、もう彼のメロディーに惚れ抜いた自分のような熱烈なファンにとっては、そういう客観的な評価はほとんど関係ない。彼のメロディーを存分に堪能できるだけで、この『フィアレス』は申し分のない満点の一枚だった。
イット・バイツ時代の名曲The Ice Melts Into Waterを継承するバラード I Feel Like Kissing You Againでの歌メロの純度はますます磨きが掛かっているし、イット・バイツ・ファン向けに用意されたハード・ロック・チューン、King of BluesとNew Vibrationも単なる自己模倣ではなく、さりげなく自身の新境地を開いた佳曲として忘れることができない。

しかし、2年後に出たサード・ソロ『Tall Blonde Helicopter』という完全無欠の名作の登場により、『フィアレス』の評価は一変する。これが、やはり一ミュージシャンとして迷いの境地で試行錯誤を繰り返していたフランシスの過渡的産物だったことが明らかとなるのである。