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No.46 【イタリアン・ロックの輝き】PFM in Tokyo Dome City Hall 2014

イタリアン・ロックの至宝、PFMのデビュー40周年を記念し、この春先に急遽決まった通算5度目の来日公演。
今日はその初日。水道橋はビジネス要件でお馴染みの東京ドーム・シティー・ホール。

まさに40年前の名作、名曲、『Photos of Ghost(幻の映像)』(1973年)と『The World Became The World(甦る世界)』(1974年)を、何と何と、全曲、アルバムどおりに完全再現してくれるという。

私自身、正直、往年のメインキャラクターであったマウロ・パガーニとフラヴィオ・プレモーリという二人のスターを欠いたラインナップに興味を感じなかったが、ファン殺しのスペシャル企画に条件反射で参戦を決めた。

会場入りしてみれば、単独中年男子率の高さに改めて驚く。
そう云う自分もその中の一人であるが、平日、会社帰りという事情なのであろう。この国にはかくも多くのわが同志がいるのかとしみじみ思う。

ライブとは言え、騒がしいのは御免である。
ただ、思い出深い、自分にとって特別な音楽を純粋に堪能したい。
恐らく、それが共通した思いであったに違いない。
自分より10歳以上は上とおぼしき諸先輩方はいらっしゃる。
PFMをリアルタイムに体験した世代の方々であろう。

私はと言えば、『幻の映像』の国内ワーナーパイオニア盤を購入したのが、忘れもしない1984年、中学卒業間際の2月であった。つまり10年遅れの信奉者であるが、そんなミドルティーンを彩ったプログレッシブ・ロック群の最高峰にPFMは居た。
PFMの二枚は紛れもなく、自分の青春そのものであった。

PFMを生で体験するのは、今回が初めてだが、2002年の来日公演DVD、それから2003年のマウロ・パガーニ入り本国公演DVDもよく視聴していたので、初めてという感覚はあまりしない。
特に来日公演の完成度(再現度)は期待以上に高く、新世紀に入ってから怒涛のように始まったリバイバルの魁となった観が強い。

さて今回は、2002年の来日公演では、最も目(耳)を引く大活躍ぶりを見せた(聴かせた)キーボード兼ヴォーカルのプレモーリが居ないのは知っていたが、1970年代末からずっと連れ添ってきたマルチプレイヤーのルチオ・ファブリも居ないというのは、ステージ上にメンバーがそろった瞬間まで判らなかった。

60代中ば過ぎとおぼしき、いつもの3人に加えて、恐らく30代であろう、若手のサポートメンバーが二人、見慣れない日本人にはサッカー選手かと思わせるようなイケメン系イタリア人のヴァイオリニストとキーボーディストが登場した。
ヴァイオリンの方はちょっと往年のマウロ・パガーニを彷彿とさせる風貌で期待が膨らむが、一曲目の『River Of Life』でフルートのパートをキーボードで弾く姿に肩すかしを食う。形だけでも、フルートを吹いてほしい。

しょっぱなから、『幻の映像』と『甦る世界』の全曲をほぼノンストップで演奏してくれた。
圧巻である。申し分ないパフォーマンス、だったと言いたい。
それほど楽曲は、40年も前のものとは思えない。見事に完成した、理想的なプログレッシブ・ロックだ。
しかも、一般にはプログレッシブ・ロックというものを確立したと言われるキング・クリムゾンの『クリムゾン・キングの宮殿』(1969年)から、たった3、4年後、イタリアの20代半ばの青年たちが勢い任せに短期間で作り上げたものが、なぜゆえ、これほどまでの高みに達してしまったのだろうか。
もう、神懸かりなほどの完成度である。
逆に言えば、これより40年近くの間、この域に到達したプログレッシブ・ロックは数少ない。
つまり、プログレという表現はそれほど進歩していないということだ。
これもまた不可思議な事実と言えよう。

今、60代に突入し、初老と呼ぶのさえ憚れるような3人だが、ステージ上では相変わらず元気だ。
今が絶頂期とまでは言えないにしても、まだまだ現役キャラクターに衰えは感じない。

今回のファン殺しなスペシャル企画はとにかくあっぱれなのだが、そうであるほどにオリジナルメンバー5名のうち、2人の不在が惜しい。特にプレモーリが居ないのは、致命的に痛い。
何しろスペシャルなのだから、リハーサル不足だなどと野暮なことを云ってはいけない。
しかしながら、若手サポートメンバーは二人とも終始、タブレット端末上の楽譜とにらめっこしながらのパフォーマンス。いかにもお仕事感覚が興ざめで、ちょっとこれは頂けない。ただスペシャルな夢を見たいという観客の一途な思いに水指す所作だったと思う。

もう一点、ちょっと見逃せないのが、メロトロンの再現度の低さである。2002年の来日公演ではプレモーリが相当、律儀にメロトロンの音色を再現していた。それに比べて、今日の若手キーボードは特に拘りなくストリングス系。その辺りの粗さはマニアとしては納得しがたい。メロトロンの精度こそが今回の企画の生命線だったはずではないか。

さらに言えば、それ以上にプレモーリ不在が痛かったのは、何よりヴォーカルだ。
原曲でプレモーリがリード・ヴォーカルを取っていた『ミスター9時~5時』はチョッチョが、『原子への回帰』はムッシーダが代わりに歌っていたが、印象が全然違う。自分がプレモーリ贔屓というのを差し引いてもごまかせない違和感があった。
やはりプレモーリ、チョッチョ、ムッシーダがそれぞれの音質と持ち味を活かしながら等分に歌ってPFMは初めて生きるのだ。今回はムッシーダ率が高く、どこか釈然としないものが残った。

とは言え、何しろ40年も前の音楽なのだ。つまり懐メロである。
それは今回、サポートメンバーを務めている2名の若手ミュージシャンにとってもそうに違いない。何しろ生まれる前の音楽なのだ。

そう考え直してみると、懐メロに過度の精度を求める自分の感情は理不尽だと思い直す。そして、最終的にはかくも素晴らしい音楽に出会えた幸運を何かに感謝したいという一心に駆られる。

チョッチョが「サンキュー」「グラッチェ」「アリガト」と繰り返していた。それはショウビスの流儀、と言ってしまえばそれまでだが、本当はこちらの方こそ心底そう言いたい気持ちであった。