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No.14 プログレッシブとは考えるための音楽である。

2009年というデータがあるので、もう4,5年前のことなのだろう。
ふと思い立って、自分の半生を彩った思い出のアルバムについて所感を書き出した。
純然たる アルバムレビューではない。
アルバムを聴いていた当時の自分の生活感情というものを思い出しながら、一人称で書いてみようと思ったらしい。
音楽の本質は、レコードなりCDなり再生パッケージにあるのではない。
また、演奏しているクリエイターの方にあるのでもない。
音楽を聴く、あるいは生きている自分自身の経験、エクスペリエンスにある。
そういう、何ともわかりづらい主張である。

ただし、そういう解釈に立てば、何でも良いのである。
極論を言えば、音楽だけではない、そこに接したすべてのものがプログレッシブ・ロックということになる。

プログレッシブとは、カテゴリーではない。
様式ではない。
アティトュード(態度、姿勢)だという、物言いは一度ならず見かけたことがある。

自分が「これはプログレッシブだ」と言えば、何でもプログレッシブになってしまう。
何故なら、結局のところ、自分がプログレッシブだからなのだ。
そんなトートロジー(同語反復)に陥りがちである。

でも実際、意外とそのとおりだったりする。
プログレッシブという形容詞は、万般にわたって通用する一種、シンボリックなものである。

こういう云い方もずっと昔、目にしたような記憶がある。

現代は考えることを拒否した時代である。
そんな中で、みずからの頭と感性で考え続けようとすること。
それこそがプログレッシブと呼ぶにふさわしい、と。

事実、プログレッシブ・ロックは、ただ聴いて終わりではない。
そこで生じる問題意識、云わば現実世界への異議申し立てについて正面から向かい合い、考え直すことを要求する。
しかも、考えるだけで留まらない。
必ずや受け手を何らか行動へと駆り立てる、そんなもののような気がする。