No.77 Roine Stolt / The Flower King 1994

北欧の伝説として、ながらく一部の好事家の間だけで憧れられ続けたカイパ。1970年代半ば、3枚のアルバムを残したスウェーデンの叙情派プログレッシブ・ロック・グループである。
その主役を担っていたギター・ヒーローのRoine Stoltが劇的な復活劇を遂げたのは1994年夏。
カイパの3枚のアルバムが、仏ムゼア・レーベルから世界配信され、改めて多くのプログレマニアを魅了した後のこと。豊富なボーナストラックと詳細な資料を加えたリイシュー盤への反響がRoineのプログレ魂にもう一度、火をつけた。
当時、自分は地元に帰郷し社会人になって数年目。カーステレオでカイパの3枚をしばらく聴き倒し、脱退後のRoineが世に出した2枚のソロ・アルバムもじっくり吟味し、次は何を求めようかと思っていた。そんな絶好のタイミングであった。 
World Desqueの通販メニューに発見し、我が目を疑いながらも狂喜乱舞か欣喜雀躍して早速、購入した。
「The Flower King」という、安易とも思える、嫌にストレートなタイトリング。
レビューには、イット・バイツにも通じる云々といったコメントがあった。そう、それはイット・バイツが電撃的に解散して数年後だった。まだその存在が日本のプログレマニアの心を占めていて、我々はそれに代わる新たなヒーローの登場を待ち望んでいた。

ブックレットには、プログレシーンに15年ぶりに復帰するにあたってのRoine自身のメッセージが載っていた。シンプルな英文で、今日の音楽シーンに対する根深い不信感や反発を表明した上で、同じ心を共有する世界中の同志に向けて、一切の妥協を配して自分が真善美と信じる音楽だけを追求する、という宣言が書かれていた。
今もなお通じる彼のマニフェストである。
少し無精髭をはやしレザージャケットを纏ったRoineの姿はいかにもロック・スター然としていたが、そのメッセージは思っていた以上に反時代的であり、また孤独な悲壮感のようなものを感じた。
実際、ドラム以外はほとんど彼自身によるパフォーマンスの多重録音。かつてのカイパが結束の固い4人が一丸となったアンサンブルを身上としていたのと比べると、どこか寂しさを感じさせる制作体制だ。
肝心の音は、と言えば、想像以上に正攻法のハード・ロックだ。音の輪郭はクリア、音色も明るい。1970年代、欧米ではイエスがハード・ロックに分類されていたと聞いたが、そんな意味でハード・ロックだ。カイパの陰影はあまり感じられない。
1980年代後半のL.A.メタルあるいは往年のボストンを思わせる陽性の歌メロと、徹底的に引き伸ばした間奏部での遠慮なし、やりたい放題のギター・ソロ。
基本は全編これの連続だ。
最初の2曲はライトとダークのマニフェスト・ソング。
続くCamel風の疾走感あふれるインストでは後半の弾き倒し、小品を飛ばし、今度は存分に泣きのギター・ソロが続く長尺インスト。もう一度、ハード・ロックに戻ってギター版EL&P
カイパ時代への郷愁とも言える大型組曲に、最後はもう一度、オープニング曲のサビへとリフレインする、という、まさに至れり尽くせりの構成。
もうこの1枚ですべてが終わってもいい、という覚悟の産物であった。

最初はどうしてもカイパの繊細な構築美と比較してしまう。シンフォニックな装飾を施してはいるものの、基本的にはみずからのミュージシャン・エゴを貫いたギタリストのソロというのが私の印象だった。
Roineの声域の狭いヴォーカルもなかなか聴き馴れず、しばらくはHans Lundenと比べると不満を拭えなかった。
とは言え、1970年代半ばから1980年代を通して酸いも辛いも知り尽くした匠の技だ。例えば、同時代の米国マイナー系シーンに登場したシンフォニック・ロック勢とは格が違う。本物の凄みというものを感じさせる。
しかも、半分以上でドラムを叩くのはRoineの盟友、Zamla Mamas Mannaのバカテクドラマー、Hans Bruniusson。全盛期のBill Brufordを凌ぐ切れのある演奏でロック・アンサンブルの完成度を格段に上げている。シンフォニック系でこれだけ強靭な鉄壁のリズム・セクションは長らく期待できなかったものだ。

ここから、プログレ史上指折りのギター・ヒーロー、Roine Stoltの快進撃が始まる。
これがリリースされた時点ではまさかそんな歴史が刻まれることになろうとは想像もしていなかった。