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Essay

No.59 すべてはオマージュにしかならない。

以前から、ずっと思っていることなのだが、一般に「芸術」と言われるような試みに対して、それ自体を作品という形で切り離し、対象化した上で、あたかも単独で存在する客体として、それが客観的に良いの悪いのと論じることは、そもそも大いなる自己矛盾なの…

No.36 1980年代プログレ代表 It Bites、Sagrado Coracao da Terra

プログレッシブ・ロックについて語り出すと、古い話ばかりになるのは気が引けるのだが、やはり避けることはできないのだろう。自分が大学に入ったのは昭和の最後の年。1988年。世はバブル経済の真っただ中ということになっているが、自分の記憶にそういう時…

No.35 King Crimsonと私

キング・クリムゾンを知ったのは1982年の中学2年の冬だった。大ヒット中のエイジアに夢中になった後、7歳上の兄のガイダンスを受けながらイエス、EL&P、UKと駆け足で遡り、必然的に『宮殿』に至った。寒い冬、借りてきたレンタルレコードをカセットテープに…

No.14 プログレッシブとは考えるための音楽である。

2009年というデータがあるので、もう4,5年前のことなのだろう。ふと思い立って、自分の半生を彩った思い出のアルバムについて所感を書き出した。純然たる アルバムレビューではない。アルバムを聴いていた当時の自分の生活感情というものを思い出しながら、…

No.9 Rushへのオマージュ

何しろラッシュは最初から特別だった。 1980年代ショッパナ、Permanent Wavesがいきなり全米チャート4位にランキングされたのがきっかけとなって、ラッシュは当時のエピックソニーから日本国内に改めて紹介されることとなった。 これがアイアン・メイデンを…

No.7 1982年のころ

自分が意識的に洋楽を聴くようになったのは中学2年の1982年である。当初は七つ年上の兄からの影響であったが、この頃は邦楽と洋楽の間に深い「ルビコン河」があった。クラスの中で洋楽を聴くのは今も昔も少数派である。しかし、その通過儀礼のパターンは明白…

No.4 音楽はエクスペリエンスなり

音楽の本質はあくまでも自分自身の経験である。 究極はABCというアーティストによるDEFという作品といった客体ではない。 そう思えば、その経験が成立した時代背景や自分の状況を抜きにしては考えられない。 自分の四半世紀を超える音楽遍歴を振り返った。 …